美術モデルの歴史(西洋)
西洋の美術モデルについては日本よりはるかに長い歴史をもっている。
ここでは、歴史的に明らかになっていることを順次掲載する。
17世紀フランスの美術モデル事情
歴史上ただ一度だけ、裸体でポーズするのを違法とした時期があった。17世紀フランスの出来事である。この法律の背後にあった動機は「王立美術アカデミー」の創立にあたってここを通じた裸体モデルの独占権を守ろうとする配慮からであった。
ヴィクトリア時代の英国美術モデル事情
およそヴィクトリア朝時代のイギリスほど、美術のモデルが低い社会的評価を受けていた時代はなかった。
この国では、モデルは玄関からの出入りを許されなかった。御用聞きの入口を通るにも使用人たちから苦情が出たので、名のある画家の場合は、自分のアトリエにモデル専用の出入口を備えておき、こうすることでまた、仕事に来るモデルと、妻や娘たちとが、けっして顔を合わさないようにもしていた。
そんな風潮だから、貧乏だが悪いことができないといった星まわりの女性にとって、蔑視される裸体モデルは、よくよくの事情でもない限り、とても踏みきる決心がつかなかった。
19世紀パリの美術モデル事情
マネはアカデミー・スイスを当時利用していたがこのスタジオは引退したモデルの
経営になるもので、どんな見当ちがいな時間に画家が制作意欲を覚えても、その便宜が計れるように
二十四時間のモデル紹介を行なっていた。
そうした条件でも喜こんでポーズをとるモデルといえば、
たまたま働くことが決まったアトリエ以外に、住むべき屋根もないみすぼらしい宿なし女が大半であった。こうしたモデルたちは「アトリエのねずみ」の異名で知られていた。アトリエねずみは決められたポーズの合い問にも、床掃除をしたり、使い走りをしていた。
ロダンの時代のパリの美術モデル事情
パリの美術家たちは月曜日ごとにピガール広場で行われる「モデル市場」で自己の主題にあったモデルを探した。
「美術家たちはモデルの一人一人を、仔細なところまで、あら探しするように調べる。モデルの欠点や美点を数々あげて評価を下し、時には動物を買うときよくやるように、腕とか脚の線にさわってみたり肉の付き具合を確かめるのであった。しかしモデルの方もそれをいやがる風は一向になく、むしろ、この月曜市を楽しんでいるかに見えた。」
参考文献「巨匠とモデル」〜白水社刊